スーパーガンダム

スーパーガンダムの対戦一覧表

対戦カード 宇宙・中距離 宇宙・近距離 宇宙・遠距離 地上
スーパーガンダム vs ジークアクス 敗北 敗北 敗北 敗北
スーパーガンダム vs ガーベラ・テトラ 敗北 敗北 敗北 勝利
スーパーガンダム vs ル・シーニュ 勝利 勝利 勝利 勝利

スーパーガンダムの武装

スーパーガンダムはRX-178 ガンダムMk-II(エゥーゴ仕様)にFXA-05D Gディフェンサーをドッキングした形態で、正式名称をMk-IIディフェンサーとする。最大の売りは「長距離狙撃に最適化された火力パッケージ」で、Ζガンダムのハイパー・メガ・ランチャー級の威力に匹敵するとされる高出力ロングライフルを軸に、戦艦アーガマの会敵レンジを押し広げる“動く砲台”として設計されている。長射程・高初速の一撃で、アレキサンドリア級の護衛線やハイザック部隊の前進を止め、味方のリック・ディアスやネモの突入タイミングを作る発想が根底にある。

このロングライフル(ロングビームライフル)はGディフェンサー右側面に装備され、ケーブルを介してガンダムMk-II本体と接続することで出力強化が可能とされる点が重要だ。さらにGディフェンサー側はミサイルユニット(ポンツーン)先端に14連ミサイルポッドを備え、飽和攻撃で牽制しつつロングライフルの“狙い直し”を許す構成になる。加えてミサイルユニット部に片側2門×左右で計4門のバルカン砲を持ち、接近してくるメッサーラ級の高速目標やマラサイの牽制に使える。コクピットブロック離脱時の自衛としてレーザー砲2門を持つ点も、分離・帰投を前提にした現実的な装備と言える。

一方で“スーパー”は追加火力だけでは完結せず、ガンダムMk-II本体の標準武装が前提になる。バックパックのビーム・サーベル2基は、狙撃機でも白兵を避けきれないグリプス戦役の乱戦で最低限の護身を担い、エネルギーパック式のビーム・ライフルは取り回しの良い中距離火器として残る。散弾も撃てるハイパー・バズーカは制圧・弾幕用途が明確で、腰部マウントで持ち替えがしやすい。さらにバルカン・ポッド・システムは近距離の迎撃と牽制に効き、伸縮機構を持つシールドは防御だけでなく予備エネルギーパックの携行にも寄与する。つまり、ロングライフルで外を取り、詰められたらMk-IIの手数で捌く二段構えがスーパーガンダムの“武装思想”になる。

運用面では、Gディフェンサーが巡航形態「Gフライヤー」を取れることが戦術に直結する。会敵前はGフライヤーで移動し、戦闘宙域でMS形態に移るとコクピット部が分離するため、以後は再びGフライヤーに戻れないという制約がある。だからこそ、戦闘開始前に“どこで降りるか”を決め、降りた瞬間からロングライフルの狙撃線を成立させる必要がある。ビーム・サーベルでの接近戦が可能と明記されるのも、狙撃一辺倒ではなく、ティターンズの接近圧(バイアラン、パラス・アテネ、ハンブラビなど)に対して局地的に対抗するための拡張性を示すものだ。

エマ・シーンの思想

エマ・シーンは当初ティターンズの士官として登場し、ガンダムMk-IIをめぐる一連の事件を経てエゥーゴへ移籍する人物だ。ここで重要なのは、彼女が「体制側に属しながらも、体制が“軍”を装って私兵化していく気配に耐えられない」という倫理観を早期に露呈させる点にある。グリーンノア1やアレキサンドリア周辺の局面で、命令系統に従うだけの駒にならず、軍人としての責任と人間としての良心のどちらを優先すべきかで揺れる。その揺れが、結果としてエゥーゴという反地球連邦組織への転身を“裏切り”ではなく“是正”として位置づける骨格になる。

エマの転機は、ティターンズの作戦が「秩序維持」ではなく「恐怖統治」へ滑っていく瞬間を、現場の当事者として突きつけられることにある。彼女はレコア・ロンドの影響も受けつつ、ガンダムMk-II奪還に人質や非人道的手段を絡めるやり口、さらにコロニーへの毒ガス使用といった“目的のためなら手段を選ばない”発想を、軍人の論理として受け入れられない。だから彼女のエゥーゴ参加は、反体制イデオロギーへの傾倒というより、バスク・オムやジャミトフ・ハイマンの権力装置に対する拒否反応、そして「軍は市民を守るためにある」という素朴で頑固な信念の帰結として描かれる。

エゥーゴ側に立ってからのエマは、ただの“元ティターンズ”ではなく、組織内の信頼を実務で勝ち取るタイプとして機能する。アーガマではリック・ディアスのパイロットを務め、後にガンダムMk-IIを譲り受けて、アーガマとラーディッシュを行き来しながら戦闘に参加する。その過程でカミーユ・ビダン、ファ・ユイリィ、カツ・コバヤシに対し、姉のように優しく、同時に上官として厳しく接する姿勢が強調される。疑われやすい立場にもかかわらず“人柄の良さで信頼を集める”という評価は、彼女の思想がスローガンではなく日常の判断として表れている証拠であり、だからこそ周囲からの信用が積み上がる。

さらにエマの思想は、戦争を“個人の感情の発散装置”にしない姿勢としても見える。ヘンケン・ベッケナーからの好意に戸惑いながらも、戦場での責任と私情を切り分けようとする態度は、レコア・ロンドの離脱やクワトロ・バジーナの政治的逡巡と対照的に、あくまで現場の兵としての倫理を軸にした生き方に収束する。ブレックス・フォーラの掲げる理念や、エゥーゴという寄り合い所帯の矛盾を理解した上で、それでも「よりマシな側」ではなく「より正しい振る舞い」を選び取ろうとするのがエマ・シーンの核になる。その実直さが、グリプス戦役という泥沼の中で“まともさ”そのものとして輝く構図になる。